五島列島 大石養鶏場
令和 2 年 4 月、五島列島 大石養鶏場と名を変え、大石養鶏場から経営を引き継ぎまもなく 2 年。現在 8 名の従業員と共に、五島住民の食を支えるため、また五島ブランドを島外に発信しようと、休みなく働く野瀬さんご夫婦。養鶏場を受け継ぐことになった経緯や、それからの2 年間、そしてこれからの展望をお聞きしました。
五島産の卵を守りたい
2 年前、とあるスーパーの張り紙で、五島の大手養鶏場である大石養鶏場が後継者をさがしていることを知った野瀬さん。故郷の福江島に U ターンし、飲食店を始めて 3 年が過ぎた頃でした。経営者として次のステージに行くには時期尚早と感じながらも、なぜか見過ごせず、とにかく話だけでも聞いてみようと直接大石さんを訪ねた際、次のことを聞かされます。五島市内にある養鶏場は2つのみであり、その2つで五島市内の卵の需要をまかなっていること、その大半を大石養鶏場が担っていて、今大石さんが辞めてしまったら五島の需要を賄えなくなり、スーパーから五島産の新鮮な卵が消えること、そして学校給食で扱う卵が、冷凍卵になってしまうこと。野瀬さんはその事実に衝撃を受けます。このままでは、五島の子供達に新鮮で安心安全な卵を届けられなくなる。これまでの 67 年間、大石さんたちが守りこだわり続けた熱意も労力も無駄になってしまう。野瀬さんはその現実に心動かされ、使命感にも似た思いから、大石養鶏場を引き継ごうと決意します。
一念発起し飛び込んだ養鶏の世界
「それからは、一緒にやってくれる仲間達と、とにかく通いましたね。来る日も来る日も、早く習得したい思いで養鶏場の掃除から何からやりました。鶏は毎日卵を産みますから、採卵は休みなしです。決してきれいとは言えない現場の仕事も必死で頑張りました。これまで何気なく食べていた卵が、家庭の食卓に並ぶまでにこんな苦労があったんだということも初めて知りましたし、勉強すればするほど、大石さんたちがどれだけレベルの高い卵を研究されていたのかにも納得でき、尊敬に変わっていきました。その思いや熱意が伝わり、『野瀬君に任せるよ』と言ってもらえた時は嬉しかったですね。後から聞きましたが、他にも大手スーパーや、関東の方からも経営を引き継ぎたいとの申し入れがあったようです。」
規模拡大に向けて
引き継ぐことが決まってからも大変だったと言います。「朝 2 時くらいに起きて富江にある食鳥処理場で肉の処理の勉強を 7 時くらいまでして、それから富江の養鶏場で採卵、洗卵、吉久木町の店舗(前 五島たまごセンター)で箱詰め、その後配達と、本当に目まぐるしい日々でした。」奥様も一緒になって休みなく現場に行き、事務仕事もしながら支えてきたと言います。また日々現場をこなす一方で、経営の拡大にも力を入れて行きます。「大石さんは既に辞める方向にシフトしていましたから、最盛期には 20,000 羽いた鶏を、 4,000 羽くらいにまで減らしていました。せっかく始めるなら五島全域、さらには島外にも展開できる規模を目指そうと、設備投資をして鶏の羽数を 10,000 羽に増やしました。それに伴い雇用も取引先も増やさなければなりません。卵を扱う業者 1 軒 1 軒に出向き、営業して回りました。」その甲斐あって、今では五島のスーパーや、病院、介護施設、給食センター、飲食店やケーキ屋さんなど、取引先は継がせていただいた時の倍以上に。一時は顔色も悪くなるほどの働き詰めで、奥様も心配するほどだったそうですが、「おかげで 15 ㎏も痩せました。」と笑いながら当時を振り返る野瀬さん。
大石たまごのすごさをもっと PR したい
「携わるようになって知ったのですが、大石たまごはビタミン E が一般の卵の10倍以上もあり、コレステロール値は30%も低いのです。五島では「良い卵」としての認知はされていますが、意外と数値的なものは伝わってなかったんだと思います。卵は食べ過ぎてはいけなという固定観念がありますが、実はたくさん食べてもいいんだということを、今後も自信を持ってアピールしていきたいと思っています。私たちも卵焼きや卵かけご飯にして毎日食べていますが、めちゃくちゃクリーミーで、自画自賛ですが本当に美味しいと心から思います。」そんな野瀬さんたちこだわりの卵は、取引先への配達のほか、直売所である五島列島たまごSHOP(前 五島たまごセンター)での店頭販売、スーパーの無い地域への移動販売も行っています。「直売所では袋売りで、わざわざ足を運んでくれるお客様に直売所価格でお得に販売しています。大石さんもやっていた移動販売は、大津、崎山、長手、たまに玉之浦まで足をのばしていますが、価格は直売所の五島列島たまごSHOP(前 五島たまごセンター)と同じにしています。コストも時間も余裕はないですが、待っているじいちゃんばあちゃんがいるのでやめられないですね。」
時代にあった経営を
あっという間に過ぎた怒涛の 2 年。今は現場を任せられる若手や、やる気のある人材も一人づつ増えてきて、従業員は始めたときの倍の人数に。とは言え経営には社会情勢が深く関わり、景気の良かった時代とは違い鶏のエサになる飼料価格も異常なほど高騰しているので、厳しいものがあります。また、国の方針転換などで課題も多いですが、下ばっかりは向いていられません。時代が悪いと嘆く前に、こんな時代だからこそできることを考えていかないとですね。大石さんからも、『ちゃんと現場をやって行けば大丈夫だよ』と、温かい言葉を掛けてもらっているので、それを信じて邁進していこうと思っています。できれば先では、高校を卒業して島を出て行く子らを雇い入れるくらいの会社にして行けたらと思っています。昔は敬遠されていた第一次産業も、今は若い子らにも注目されて来ています。必ずしも綺麗な職場じゃないですけど、それに見合った給料を払える経営をして、いい職場をみんなで作って行けたらと思っています。そしてせっかく受け継いだのですから、途絶えさせないよう次に引き継ぐことも視野に入れています。蛇足ですが、五島に養鶏場がなくなるということは、五島の大晦日の蕎麦の出汁には欠かせない親鳥が地元で手に入らなくなるということなので、それが阻止できたことも良かったのかなと思っています。」
五島のブランドたまごを世界へ
「今、農学博士の先生と一緒に健康ブランド卵の研究も行っていて、間もなく形になろうとしています。抗炎症作用、抗酸化作用、共にビタミンEが50倍〜60倍になると言われているスーパービタミンE。コレステロールの低下やアンチエイジング効果などが立証されていて、日本初、いや世界初の健康ブランド卵を五島から出していこうという計画です。
またその卵を使って、五島ブランドのマヨネーズなど、加工品も作り、ネット販売等で島外にも出していきたいと考えています。そのためには加工場を作ったりとまた大変になりますが、新たな雇用を生むこともできますし、何よりきっと楽しくなると想像ができます。道のりは長いですが、新鮮で健康に良い卵を毎日食べて、これからも頑張っていきたいと思っています。」